検索ちゃん

伊集院「原作の最後の方、すっごいナゾを広げすぎてややこしくなってきて、それラジオでおれ口悪いから『わっけわかんねーな!』ってはじまって、『ナゾ広げて伏線作りすぎて、本人逃げ出すんじゃねーの!?』って言ってたら、ご本人、浦沢先生から『そーなってます』と、『ラジオ聞きました』と、『おっしゃるとおりでございます』と連絡いただいたうえに『お会いしませんか』と言われて、会いました。そしたらやっぱり『ほんとにね、張ってきた伏線がまとまらなくなっちゃって』と」
太田「あれヤワラちゃん描いた人でしょ。谷亮子ヤワラちゃんて呼ばれてることに関してはどう?」

20世紀に関しては、ほんとにわからないなんでこんな作者本人も投げ出すような質の悪い製品がもてはやされるのか。
浦沢センセイも、あんな駄作描いて恥ずかしいと思わないのかな映画化だって断るのが良心だと思うんだけど。
浦沢センセイは自分のウデに過信があったのだろうか。どうにかできるとずっと思いながら描いてたんだろうか。それでもまとめられなかった、だからやっぱりあの大風呂敷を広げる手法は浦沢センセイをもってしても収斂不可能な、禁じ手なのか、とみんなは言うのかい?それに果敢に挑戦した浦沢センセイは討ち死にはしたけれど、天晴れ見事な散り際だったと。
それともこういうかい?あれは一種の滑り芸だと。村上ショージ山崎邦正が使うような、高度な芸だと。だから正面から批評するのはヤボだと。ナナメから見なきゃダメなんだと。
でも想像してごらんああやってなげやりなかんじで終わらせないですむ方法はあったのに、って。誰にも傑作だって言われるような作品にすることもできたのにって。それは簡単なこと。
たとえば、ともだちの正体は早めに明かしちゃう。そんでシバリが解けたあとは王道のハラハラドキドキの大スペクタル・アクション活劇で徹底エンターティメントしてグイグイ読ませちゃう、みたいな。
そんな作品だったらよかったのに。そう。みんなが思えば、それは簡単なことなのさ。