井口昇さんて

なんなんでしょうか。昨日真木よう子のドラマ見て、とても不思議なかんじがしました。
まずなんと言っても、身体がスジコ化するっていう設定です。これはどういった科学的な根拠があるのか。
思うに、もしかしたらなんら根拠がないのではないか。人体がスジコになることは、有史以来、いや、それ以前も、あったとはとても思えない。
思い出すのは、少し前、BSでやっていた石ノ森章太郎大全集で、仮面ライダーサイボーグ009とかを見たとき疑問に思ったこと、「これは、当時戦時中、あるいは戦後ドサクサの混乱した時代だったから許されただろうけど、現代だったらとても鑑賞に耐え得るものとして評価されなかったのではないか」という疑問です。
なにしろ、サイボーグひとつとっても、奥歯の加速装置とか、テレキネシスとか、予知能力とか、そういった能力が果たしてサイボーグ手術で身につくものだろうか?いやそうはならない。断じてならない。
そういったありえないさーなストーリーがなんの説明もなされないまま強引に進められて行く。私はあまりに安直な設定に眩暈すら覚えた。ヴォクト等に代表されるハードSF全盛の現代となっては、これではまともな作品として世に出ることはないであろう。アクエリオンハガレンも、圧倒的なリアリズムで視聴者はこれが架空のものではないと納得して見ていられる。そういうクォリティを持っている。我々は堕天使や、ホムンクルスが存在することを知っている。信じているのではない。知識として知っているのだ。UFO信者がUFOのことをなにも知らないのに信じているのとは違うレベルで。
その緻密さとリアリズムに支配された現代に唐突に差し出された井口作品、果たして何人のニンゲンが人体がスジコ化すると、納得できるだろうか。人体はスジコにならない。DNAが違う。味が違う。血液型もおそらく違う。スジコはその性格からOB型であるとプロファイリングされる。なにしろありえない。
こうして疑念疑惑猜疑心に捉われたまま作品を鑑賞することはできない。だから作品としていいも悪いもない。評価する以前のものだ。そんなドラマが、今いちばんとんがっていると言われる真木よう子を主演に据えて何億もの制作費を投じ何千というスタッフの汗と血と涙を費やして作られていいものだろうか。
これは時代を逆行しているのではないか?仮面ライダーや009のような乱暴で雑なモノが横行する、歓迎できない風潮が復活するのではないか?
ちょっとエキサイトし過ぎた。明日もう一回頭冷やして考え直そう。